仕事が暮らし、暮らしが仕事

篠山で行われた左官の講習会では、自分の中で消化し切れないほど多くの事を学び、その余韻は5日経った今もまだ残っているが、実はその他にも、同じ篠山で心に残る出会いがあった。

左官講習会は1泊2日で行われたので、参加者の多くは近くのホテルに泊まっていたが、ホテル代節約のため姫路にある嫁さんの実家から通う事にした。姫路から篠山まで、高速を使って1時間ちょっとの距離。
嫁さんの実家に「篠山で講習会があるので泊めてほしい」と電話でお願いした時、嫁さんの親父さんから「篠山に行くのなら知り合いの陶芸家がいるので是非会ってみたら」と紹介されたのが陶芸家の柴田雅章さんだった。
姫路に着いた夜、嫁さんの実家にある柴田さんの作品集「灰釉」を読ませてもらったが、そこに書かれていた「仕事が暮らし、暮らしが仕事」という文章に目からうろこが落ちた。そして、どんな人なのか是非会ってみたいと思った。

何年か前から、エコとかロハスとかスローなどという言葉が流行りはじめ、一時期そういう言葉を使わなければ時代遅れのような風潮だった。
どうやらそういうブームも過ぎ去ったようだが、以前からそういう言葉に違和感を持っていたのだ。
その頃から、自分がこれだと思う暮らし方について、どういう言葉で言ったら良いのか見つけられないでいた。
柴田さんの「仕事が暮らし・・・」の文章を読んで、そのヒントが見つかったような気がした。

考えてみればちょっと昔、おじいさんとかひいおじいさんの時代までは、日本人のほとんどが、働く事(仕事)そのものが暮らしであり、生活のために働いていたはずだ。
食べるために農作物を作り、住むために家を造り、器や着るものや身に付けるものものほとんど全てを自分たちで作って使う。
今言われる自給自足ともちょっと違う。まさに仕事が暮らしだったのだ。
器にしろ建物にしろ、そうした時代に作られたものを見ると、その中にパワーというか底力のようなものを感じるのは、当時の人達のそういう暮らしがあってモノが生まれてきたからと思うのだ。
柴田さんの文章の中に、「僕らのように生活の器を作ろうとすると、それはやっぱり自分の生活からしか出てこない。」「自分の目で自分の焼き物を見たときに、やっぱり暮らしそのままだなという感じがします。」とあったが、ものづくりというのは本当はそういうことなのだなと改めて感じたのだ。

左官講習会が終わり、15分ほど車を走らせ篠山市郊外の柴田さんのご自宅に、途中2度ほど携帯電話で道を教えて頂き到着した。着いた場所は、近くに綺麗な川が流れる里山で、自然が豊かな場所だ。
柴田さんに庭や作業場、窯など案内して頂き、ご夫妻にご自宅でお話を聞いた。
奥様の手作りの葛餅とこだわりのお茶は素晴らしく、柴田さんが焼いた器で頂戴した。
柴田さんが修行を終え独立して今の場所に来られたのが30年前。それから家や作業場を作り、窯を築き、庭や畑を作り、、、そうした家族の歴史と毎日の暮らしの積み重ねが、庭や家の中にさりげなく漂っていて心地よかった。
柴田さんの作品集に工芸家の柚木沙弥郎先生が原稿を寄せておられるがその中に、自宅で先生が使っている柴田さんの器について「親しみがありながら馴れ馴れしいところがない。」と書いておられるが、まさにそういう作品はそういう暮らしからしか生まれない、それが納得できるような素晴らしい暮らしぶりと拝察した。

あっという間にあたりは暗くなり、「そろそろ失礼します」と立ち上がろうとしたところ、「ちょうど今良い時期だからホタルを見に行きましょう」と誘って頂いた。
来た道を下り、川の脇に車を止め降りた瞬間、そこは無数のホタルが乱舞する別世界だった。子供の時以来しばらく見たことがないその光景に、ただただ見とれるだけだった。
「夕飯を食べて行ってください」という奥様の言葉を丁重にお断りし、何度も頭を下げてお別れした。
左官講習会と共に、篠山は心に残る場所になった。

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