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メキシコ回想録

メキシコ回想録1 エピローグ

1989年から1992年まで、4年間メキシコで暮らしました。最初の3年間は首都であるメキシコシティーで、その後1年間南部の田舎町で、現地の人たちに日本語を教えながら生活しました。
メキシコ人の印象は、最初はあまり時間を守らない、ちょっといい加減な人たち、といったイメージがありましたが、深く付き合ってみるととても親切で面倒見が良く、底抜けに明るい人たちでした。
特に田舎の人たちほど親切で、その日知り合った旅行者にも、食事を提供してくれたり泊めてくれたり、そんな経験を何度もしました。
メキシコ南部のチアパス州の海岸沿いの町は、1980年代に日本政府によって日系移民が最初に移住した土地で、日本とのゆかりが深い所です。
今も当時移民した人たちの子孫が数多く残っていますが、現在では3世~5世の時代で、日本語を話せる人たちはほとんどいません。かろうじて苗字に日本名が残っているだけです。
しかしそうした日系人の多くは、自分が日本人の子孫であるということに誇りを持っていて、日系人会を組織して活動したりしています。私が日本語を教えていたのも、そうした日系の方々が中心で、皆さんとても熱心でした。
そんな現地での生活を中心に、思い出を綴っていきたいと思います。

メキシコ回想録2 ビールの話

メキシコの公用語はスペイン語。スペイン語でビールのことを「セルベッサ」。メキシコに行って最初に覚えた言葉の一つだ。
メキシコのビールは、日本でも有名な「コロナ」を始めXXと書く「ドスエキス」、飛行機の機内でよく出て来る缶ビールの「テカテ」等、種類も豊富で、地方に行くとその土地のビールがあったりしてなかなか楽しかった。中でも気に入ってよく飲んでいたのが、黒ビールの「ネグラモデロ」。ずん胴のどっしりした瓶で、値段も他のビール同様安かった。「モデロ」には黒ではない普通のビールもあり、これもよく飲んだ。

メキシコのビールの特徴は、瓶のサイズと飲み方だ。
瓶のサイズは日本の小瓶ほどの「コロナ」ビールのサイズが一般的で、同じ形で更に小さいものや、形が違う大きなものもあったが、一般的なものが最もよく飲まれていた。
飲むスタイルも日本とは違ってあまりコップには注がず、栓を抜いて直接口を付けて飲むのが主流だ。ただ気をつけないと栓が錆びていて飲み口が汚れているときがあるので、必ずよく拭いてから飲むのが癖になってしまった。
飲み方も変わっていて、レストラン等でビールを頼むと必ずライムと塩が付いてくる。
スタイルは様々で、ライムに塩を付けて口で吸ってからビールを飲んだり、瓶の口に塩を塗って瓶の中にライムを搾ったり、人それぞれこだわりがある。
いずれにしてもその飲み方は、テキーラから来ていると思う。

メキシコでビールを飲む時に覚えておかなければならない言葉は「サルー」、乾杯だ。飲みに行くと、あちこちのテーブルから「サルー」が聞こえてくる。
「サルー」は本来「健康」という意味で、くしゃみをすると隣の人が「サルー」と言ってくれる。バスや電車の中などでくしゃみをすると、隣に座った見ず知らずの人が、独り言のように「サルー」と言ってくれるので、こちらも「グラッシアス」ありがとうと返すのだ。

チアパスで生活し始めてから、ビールはもっぱら現地の友達と飲むことが多くなった。そこでよく行ったのが、立ち飲みと、日本でいう居酒屋のような店だ。
居酒屋といっても赤提灯ではなく、普通の民家の庭にテーブルをいくつか置いて、ビールとちょっとしたつまみを出している。看板などは無く、常連さんしか行かない店だ。
そこのつまみが格別で、観光では食べれない地元の味を味わうことが出来た。
中でも豚の内臓の料理は種類も多く、ビールのつまみには最高。またそういう店では、タイミングが合わないと食べられない貴重な味だった。

ビールに限らず、メキシコで料理の付け合せや脇役として必ず付いてくるのが「リモン」と呼ばれるライムだ。
大きさは日本のゆずくらいで、緑色をしている。熟すと黄色くなるようだが、緑のうちが食べごろだ。
慣れるまではとにかく酸っぱく、レモンの3倍は酸っぱい。日本に帰ってきて黄色いレモンを食べたら、なんと甘いモノかと思ったから、すっかり「リモン」の味に慣れてしまっていたんだろう。
メキシコ料理には欠かせない味で、今でも時々懐かしくなる味の一つだ。

メキシコ回想録3 メキシコ、バスの旅

メキシコの国土は日本の約5倍の広さがあり、旅行者は国内の移動に、飛行機、電車、バスなどを利用する。(カリフォルニア半島に渡るのにフェリーも利用した)
飛行機は、急ぎの用事がない限り乗らなかったが、新規参入の航空会社が、2人で1人分の値段というキャンペーンを時々していて、友達と利用したこともあった。
電車は現地の人から「全く時間を守らないから乗るなと」言われていた。メキシコの電車に関するエピソードでこんなのがある。
全く時間を守らないメキシコの電車。1時間、2時間遅れは当り前。ある日時間通りにホームに電車が入ってきたので皆びっくりしていると、1日前に到着するはずの電車だった。
このエピソード、決しておおげさでない気がする。本当のところはどんなものか、一度乗ってみたかったがついに電車には乗らなかった。
余談だが、シティーでは地下鉄が発達していて、いつも利用していたが時刻表はなく、15分程の間隔で次々と運行されていてとても便利だった。

そんな訳で、国内の移動でよく利用したのが長距離バスだ。 長距離バスは、ちょうど空港のようにターミナルが一つにまとまっていて、そこに行けば北でも南でも、自分が行きたい所に行くバスに乗れるようになっていて、このシステムはなかなか便利だった。
バスはチケットの値段によっていくつかの等級があり、最上級の寝台バスは、飛行機のファーストクラスのような乗り心地で、座席も大きく、ほぼ水平にリクライニングする豪華さだったが、これは大都市を結ぶいくつかの路線にしかなく、いつも利用するのは決まっておんぼろバスばかりだった。
何しろシティーから20時間以上かかる距離だ。しかも田舎へ向かって行くのでどんどん道は悪くなる。 夜出発して運転手2人で昼夜走り続け、朝と昼の食事以外ほとんど止まらない。とにかく夕方までには着くぞという、運転手の気合で走っているようなバスだった。
困ったのはトイレがない車輌に当たった時で、運転手は急に車を止めて道端でやっていたが、乗客は明らかにみんな我慢していた。その時はさすがに、着くなりトイレに駆け込んだ。

そんなバス旅行だから、当然ハプニングも発生する。
メキシコには雨季と乾季があるが、特に雨季には気をつけたほうが良い。
その日は途中良い天気だったが、局地的に大雨が降ったのだろう、道路を寸断してにごった水が巨大な川になって目の前を流れていた。目的地まで、もうあと4時間ほどのところだ。
川の真ん中辺りで、トラックが2台、バスが1台立ち往生している。中には人がいて、そのまま水が引くのを待っている様子だった。
バスは氾濫した川の手前で止まり、運転手も乗客もバスを降りてその様子を眺めていた。 すると突然運転手が「みんな乗れ!」と叫んでバスに乗り込むではないか。 乗客も慌ててバスに乗り込んだ。そのとたんバスは助走をつけて水の中へ。まるで船が水の上を進むように、水しぶきを上げながら立ち往生しているトラックの間をすり抜け進んでいった。窓から下を見ると、茶色い水が手を出せば届きそうな所まで来ている。いつ止まるかとヒヤヒヤしながら、それでもやっとの思いで向こう岸に到着したときは心底ほっとした。

またある時は突然大渋滞が発生、炎天下の下4時間も全く動かない。この時はたまたま水とビスケットを持っていて、大いに助かったが、渋滞の原因は大型トラック2台の事故だった。
事故車の横を通り過ぎる時、目にしたのは信じられない光景だった。トラック同士の正面衝突で、2台とも運転席が荷台にめり込んで、コンテナが2つくっついた状態になっていた。
シティーから南部に行く道はまだ充分に整備されておらず、対面通行の舗装道路が延々と続いている。そこをトラックやバスが猛スピードで行き来しているのだ。路面も舗装されてはいるものの、ところどころ穴が開いたり砂利がたまっていたり、とても危険な状態だった。
何もないジャングルの中ならまだいいが、町や村があるところではそこが生活道路なのだ。猛スピードで通り過ぎるトラックの間をぬって、村の女性や子供達が小走りに道路を渡る姿はとても危なっかしかった。

お陰さまで、移動中乗っていたバスが事故に遭ったことはなかったが、故障で止ってしまったことは2、3度あった。いずれも真夜中で、寝ぼけているうちに後ろから来るバスに乗せられ、次の町で下ろされるのだ。
次の町では、恐らく同じような境遇の人たちがターミナルに何人もいて、目的地に行くバスが来るのをひたすら待っている。
そんなスリリングなバスの旅だった。

メキシコ回想録4 ティカル遺跡

アンティグアの話でグアテマラについてあれこれ思い出していた矢先、先日ラジオから、今度はティカル遺跡の話題が耳に飛び込んできた。
月光写真家石川賢治氏がティカル遺跡で、月の光だけで写真を撮ったときの話をしていたのだ。
石川さんは、ティカルの印象について「何か血なまぐささを感じた」と語っておられたが、僕が初めてティカル遺跡に行った時の印象と極めてよく似ていたので驚いた。

ティカルはグアテマラの北端、ベリーズとの国境近くのジャングルの中にあるマヤの遺跡だ。
西暦300年頃から栄え、今から700年以上前に忽然と姿を消したといわれている。
そんなマヤの遺跡で行われていたのが、太陽の神に生贄を捧げる儀式だった。儀式を行うピラミッドの頂上で、生贄から心臓を取り出して、それを太陽の神に捧げていたという話は有名だ。

僕がはじめてティカルに行ったのは、メキシコ時代、2度目のビザの更新のためグアテマラに行った時だった。
当時メキシコ・シティーで仕事をしていた関係で、3日間しかグアテマラに滞在できる時間がなかった。そのためグアテマラに着いたその日のうちに飛行機を乗り継いでティカルに向かい、翌日にはグアテマラシティーに戻るという、とにかく慌しい日程だった。
この時、ティカルから帰りの空港で「飛行機が満席で乗る事ができない」と言われ、かなりあせったのを覚えている。「どうしても今日中にグアテマラシティーに帰らなければならない」と、ねばった結果、トランシーバーでやり取りをしていた担当者が突然「ついて来い」と言って走り出した。二人で滑走路を走り、止まっていたなんだかよくわからない、20人ほどが乗っっていた小型の飛行機に乗せられて、それでどうにかグアテマラシティーに帰ることが出来た。

その2年後、フリーになった僕は、友人と4人で再びティカルへ行く計画を立てた。この時はメキシコから小さな舟で川伝いにグアテマラに入り、バスでティカルにいくという、なかなかハードな旅だった。
10人乗りほどの小さな舟に4時間程揺られ、いい加減尻が痛くなってきた頃、グアテマラの国境に着いたのが夜の10時過ぎ。それから食事をして、ホテルとも呼べないような狭い部屋で4人雑魚寝をした。翌日バスの出発が夜中の2時。2~3時間の睡眠で、真っ暗な凸凹道をガタガタ走るバスに5時間揺られ、やっとの思いでティカル遺跡の近くの町に到着した。バスの中ではひたすら寝ていたが、バスが激しく揺れるので、窓ガラスに何度も頭をぶつけてその度に目が覚めた。

ティカル遺跡。初めて行った時は、とにかく強い衝撃を受けた。
今から20年近く前のこと。まだ発掘途中のピラミッドがいくつも残っていて、まさにジャングルに埋もれた遺跡、という感じだった。
ピラミッドが丸ごと、木々覆われているようなド迫力のものもあったし、そこら辺に転がっている苔むした石の一つ一つが、実は複雑な彫刻の施された過去の遺産だった。
圧巻だったのが、高いピラミッドの上から見た、ジャングルの中に点在するピラミッド群だ。特に、4号神殿の上から見た光景は衝撃的だった。その頂上には僕以外誰もいなかった。時間を忘れ、ひたすらジャングルの中から突き出した遺跡群を眺めていた。その時感じたのが、血なまぐささだった。

ティカルと聞いただけで、そんな昔の記憶が次々とよみがえってくる。
アンティグア同様、ティカルの遺跡も世界遺産に登録されたようだ。
ジャングルの中に佇む過去の遺産、いつまでもそのまま残っていてほしい。そして、いつかまた行ってみたい場所だ。

メキシコ回想録5 グアテマラ、バスの旅①

メキシコのバスも凄かったが、輪をかけて凄いのが、グアテマラのバスだ。
グアテマラへは、4年間で10回以上入国しただろうか。
メキシコシティーに住んでいた時、ビザの更新で半年に一度出国しなければならず、その度に一番近いグアテマラに行っていたのだ。

メキシコと日本はビザの協定で、観光ビザであっても、途中何度か更新すれば、最長半年間(180日間)の滞在ビザを受けることが出来る。これは日本とメキシコが最長で、日本とアメリカで3ヶ月だから、メキシコは日本にとってよほど親密な関係の国と言える… のかな。

ビザの更新で初めてグアテマラに行ったのは、メキシコに渡って半年後、まだスペイン語もあまりわからない、不安だらけの旅だった。
そのころ仕事をしていた関係で、グアテマラには3日しか滞在できなかった。 時間もないし、3日間グアテマラシティーでゆっくりしようかと思っていたのだが、案の定そうはならなかった。
グアテマラシティーに、見るものがあまり無いことと、最初に行った市場で、おもしろいものを発見してしまったのだ。

グアテマラの小さな空港に、アエロメヒコの飛行機が着陸した。入国審査を済ませれば、まずは換金だ。
空港の換金所で、100ドル札2枚をケッツァルに換えた。レートは覚えていないが、行く度に、受け取るケッツァルの金額が増えていった。ケッツアルがどんどん安くなっていたのだ。
ケッツァルというのは、グアテマラのお金の単位で、鳥の名前から採っている。
ケッツァルという鳥は、黒い羽に真っ赤な胸、頭が緑で尻尾が長くとても美しい伝説の鳥で、グアテマラの国鳥だ。グアテマラの、お札やコインの図柄にもなっている。
写真ではよく見たが、一度実物を見たいと思いながら、ついに見ることは出来なかった。

空港から表に出ると、待っているのはタクシーの客引きだ。
客引きしているタクシーには乗らず、とにかく道を歩き出す。しばらく歩いていると流しのタクシーが通りかかる。それを止めて乗り込むのだ。値段交渉もしやすいし、メキシコではいつもその方法でタクシーを拾っていた。

最初に向かったのは「メルカード」、市場だ。
新しい町に着くと、とにかく市場に行く。市場は、その土地の庶民の生活が垣間見えて楽しいのだ。

グアテマラの人口に占めるインディオ(先住民)の割合は60%と、中南米の国の中ではボリビアと並んで最も高い。町を歩いていても、赤や緑の色鮮やかな民族衣装を来たインディオが沢山歩いていて、それだけで異国に来たなーと感じることが出来た。

市場に着いてまず目に飛び込んできたのは、色鮮やかな織物の数々だ。
メキシコでは普通市場に行くと、肉や魚の臭いが鼻を突き、ぶら下がっているものといえば、豚の頭や腸詰や鶏やチーズだが、ここではそれらに混ざって、沢山の織物が天井から下がっていた。
店番をしている民族衣装のセニョーラに片言のスペイン語で聞いた。
「これはどこで作っているのか」
「これは○×△という町で作っている」
向こうも片言だ。
地図を見せ
「○×△というのはどこらへんか」
と聞くと、地図を指して
「○×△はここだ」
と教えてくれた。
どうもそこはチチカステナンゴというところらしい。
ガイドブックを見て確認すると、グアテマラ織りの産地と書いてある。
更にガイドブックによると、曜日によって各地で織物の市が立ち、チチカステナンゴなる土地では、ちょうど明日がその日なのだ。
これは行くしかないと、早速タクシーを拾い、バスターミナルへと向かった。

行ってびっくり、グアテマラのバスターミナルは、とにかく汚いし臭い。
トイレは無いようで、あちこちでしている人の姿を見た。 メキシコ同様、そのバスターミナルから、各地へ向かうバスが出ているようで、便利であることは確かなようだ。それに活気がある。
汚さや臭いにも、そのうち慣れてしまった。
よく見るとグアテマラのバスは、全てボンネットバスだ。それを極彩色で、こてこてに装飾してある。
行き先は、フロントガラスの上に書いてある。
バスには運転手の他に、助手として若い兄ちゃんが付いていて、客引きや荷物の上げ下ろしを手伝っている。
大きな荷物はバスの屋根の上に載せるのだ。

チチカステナンゴ行きのバスを探したが分からない。親切そうなセニョールに聞いたら、これだと教えてくれた。
そのバスには「TITI」と書かれていた。
チチカステナンゴの省略形だ。分からないはずだ。
若い兄ちゃんに聞いた。
「チチカステナンゴ?」
「シー」(そうだ)
そのバスに乗り込んだ。

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