notebook

新元号「令和」と運転免許証の更新

去る4月1日、平成に変わる新元号が発表された。
「令和」
その意味するところについては、様々なところで語られているのでここで触れることもないが、僕の個人的な意見としては、日本の元号自体もういらないのではと思っている。
西暦一本で十分。
むしろ、そこ(元号)に費やすエネルギーを他で使った方がいい。

かなり以前、某所で勤務していた頃、西暦、元号とは別にその世界だけで通用するもう一つの年表記が存在し使っていた。
その頃は、西暦を聞けばすぐに元号(平成だけではなく昭和、大正、明治まで)ともう一つの年表記がパッと頭に浮かぶほど柔軟な脳みそをしていたのだが、それから何十年も経った今となっては、年号どころか朝確認したその日の日付や曜日まで忘れてしまっている。
これからは、何しろシンプルな方がいい。
そうでなくても、覚えることややることが山ほどある現代社会なのだ。

ということで「令和」なる年号も、できるだけ使わない方向で生活していこうと密かに心に決めていたのだが、、、。
その決意とは裏腹に、早速改元の影響を受ける問題が目の前に現れた。
それは、先月ハガキが届いたばかりの運転免許証の更新手続きだ。
更新手続きのできる期間には「3月10日〜5月10日」までと書いてある。
3月は何かとバタバタとしていて更新に行けなかったので、4月になったらそろそろ行くかと気楽に考えていた。
ところが、4月中に更新すると免許証の年代表記が平成のまま、次回の更新時期が実際には存在しない平成36年になるのだとか。
もう、西暦にしてくれよ!
何でも、5月5日以降の更新分から「令和」表記になるらしい。
それまで待つべきなのか、それとも存在しない平成36年まで免許証上では生きて行くのか。
しかも4月末から5月にかけて、バカみたいな大型連休が設定されているので、5月5日以降となると、実際には7日から10日までの4日間しか手続きができない。
急な仕事が入ったりして、それを逃したらどうなるんだよ、免許失効じゃねーか!
本当に、いらんことばっかりしてくれるな。

元号に頓着ないのであれば、4月中の更新でいいだろうと思われる方がいるかもしれない。
でも、存在しない年号の公的な書類というのは、後々何があるかわからないので持ちたくないのが実情。
そこらへん、お役所のやることは全く信用できないので、ある程度自己防衛しなければならないと思うのだ。
行政というのは、とにかく余分な仕事を次から次へと作ってくる。
高齢化や人口減少などで、日本の社会的構造が大きく変化して行く今の時代で、行政サービスも含めて社会全体の仕組みをもっとシンプルにしていかなければ、大きな問題が起きそうな気がしている。

それはさて置き、免許証の更新、いつ行こうかな。

愛犬マルの死

我が家の一番上の娘は、今年中学3年生。
彼女が生まれた翌年の2月、我が家に1匹の子犬(雑種)がやって来た。
やって来たというのは正確ではなくて、岐阜の高山まで迎えに行って来たのが正解。
その高山からの帰り道、車の助手席に置いた段ボール箱の中で、ずっと丸くなって眠っていたので「マル」と名付け、以来我が家の一員となった。
マルは母親がアイヌ犬、父親はどうもハスキー犬らしい。
友人が飼っていた犬がその母犬から生まれていて、同じ母犬から子犬が生まれたということで、その頃犬を飼いたいと言っていた私たちに連絡してくれたのがきっかけだった。

マルが子犬の頃は、車で仕事に連れて歩いていた。
現場では、鎖に繋がなくてもあまり遠くにも行かず、僕の近くで遊んでいた。
ところがある時から遠出をするようになり、放すと帰って来なくなってしまった。
まあ雄犬なので無理はない。
そんなことで、勝手にどこかに行くようになってしまい、やむなく繋がれる運命に。(当たり前です)
それでも自分で首輪を外したり、いきなり走り出したりで、何度か近所のおじさんや保健所のお世話になった。(実は車に轢かれたこともある、、汗)
極め付けは嫁さんの実家である姫路に行った時、やはりいきなり逃走して半日ほど探し回ったが見つからなかった。
姫路の保健所や市役所、警察署に連絡したところ、なななんと、4キロ以上離れた姫路警察署に保護されていることがわかり迎えに行くことに。
立派な姫路警察署のビルの地下駐車場に繋がれたマルは、僕を見ると尻尾を振って大喜び。それなら逃げるなよ!

そんな数々の武勇伝を持つマルも14歳になり、ここ最近はすっかり弱ってしまった。
数年前から我が家の玄関がマルの指定席、放してしても遠くに行くこともなくなり、時々来る郵便屋さんや宅配業者に威嚇し吠えるのが彼の仕事だった。
でも頑固さは相変わらずで、夜や機嫌が悪い時は、嫁さんや子供達には威嚇をしたり、時には僕にも牙を向くことも。(嫁さんは何度噛まれたことか)
でも普段はおとなしく、滅多に吠えることもなく尻尾を振り、ペロペロとみんなの手や顔を舐めてくれた。

そんなマルの様子がおかしくなったのは、ほんの数日前。
それまでは放してもすぐに戻って来ていたのに、その日に限ってなかなか玄関に入ろうとしない。
そのうちに外の土手に座ったまま動かなくなってしまった。
午後になり、ついに起き上がれなくなってしまって、これはいよいよ病院に連れて行こうということになった。
その日はちょうど日曜日で、隣町に空いている動物病院が一軒だけあり、子供達4人と一緒に車でマルを連れて行った。
注射を打ってもらい帰って来たが、その時はもう自分で動くことも水を飲むこともできない状態だった。
そしてその日の夜、家族みんなに見守られながら息を引き取った。

大型犬で14歳というのは、人間でいうと100歳以上なのだとか。
マルは大型と中型の間くらいなので90歳くらいかな。
でも本当に安らかで、眠るように逝ってしまった。
子供達は号泣。
14年間家族の一員だったマルは、私たち家族に、本当に多くの大切なものを残してくれた。
下3人の子供達が産まれた時は、もう既にマルはうちにいたのだから。

トイストーリーという映画で、主人公のウッディーが持ち主であるアンディーと別れる時「さよなら(あばよ)相棒」と呟くシーンが思い出された。
子供達をこんなにも思いやりがあって感性豊かに育ててくれたのは、マルの存在があったからこそかもしれない。
マルよ、ありがとう。あばよ!相棒。

notebook復活

私のホームページでnotebook記事を更新するのは、実に8年ぶり。
ここ最近、いくつもの不思議で素敵な出会いがあり、そんな仲間に手伝ってもらいながら建築工房藁のホームページを一新することができた。
そして昨日、以前のホームページで書いてきたnotebookの記事(実に200タイトル以上)を移行してもらい、ほぼ以前のままのレイアウトで過去の記事も読むことができるようになったのだ。感謝。

以前のホームページを初めて作ったのが2006年1月。
3冊の本を頼りに、正月休みの3日間集中して、HTMLで作ったのが最初だった。
それから2011年まで、数ある無料ソフトには目もくれず、ひたすら覚えたてのHTMLを自分なりに駆使して、時には参考書と睨めっこしながら、ブログをnotebookという形で書き続きてきた。

それが311の大地震と原発事故で頓挫してしまった。
その時の気持ちは、言葉や文章ではなかなか表すことはできないが「俺は一体何をやっているんだろう」「何ができるんだろう」と、深く考え、迷い、悩んだ末に、ブログを書くことができなくなっていたというのがその時の気持ちだった。

東日本大震災と原発事故で、未だに苦難を余儀なくされている方はたくさんいらっしゃるが、それでも我々は生きて行かなければならない。
私自身、直接の被災者ではないけれど、あの震災がものすごく大きな分岐点というか転機になったっことは間違いない。
人間、時間が経つと多くのことを置き去りにしてしまう。
逆に、そのおかげで傷が癒えたり、忘れることによって前に進めることもある。
もちろん、それでも忘れられずに苦しんだりもがいたりすることもあるけれど、時間が大きな癒しになることがあるのも事実だと思う。

あれからずいぶん時間が経ち、新たな出会いや進展があり、その中でホームページもようやくリニューアルすることができた。
そして昨日、新たにホームページに加わった過去のnotebookの記事を読み返しながら、311以前の、割と純粋な過去の自分と出会ったような不思議な感覚を覚えたのだ。
それと同時に、これまでの空白の時間を振り返り、自分がその後何を考えやってきたのか深く考えることができた。
私たちは意外と小さなきっかけで、落ち込んだり、喜んだり、苦労したり、幸せを感じたり、様々な感情を抱くものだ。
それを文章として残しておくことは、決して無意味なことではないと改めて感じることができた。

リニューアルした建築工房藁のホームページに、以前のホームページにあったnotebookをそのままの形で入れて欲しいと、更新を手伝ってくれた仲間にリクエストした。
やってくれた友人はかなり苦労したはずだが、やってもらってよかったと思っている。
ブログの記事同様このnotebookにも、特に思い入れの強い事柄に関して、文章中心に書き込んで行きたいと思う。
みなさんどうか、気楽にお付き合いください。

木を植える

毎年この季節になると、なぜか無性に木を植えたくなる。
特に、人の手が入らず荒れた森や、単一林、伐採された後の禿山などを見ると、特にそうだ。
おせっかいだが、そのあたりに生えているコナラやクヌギの苗木を取ってきて、植えてあげたくなる。

今入っている現場も、敷地が広く斜面になっていて、木を植えるには絶好の場所だ。
そこで、以前自宅に植えた苗木を買った地元の森林組合で、今年も植樹用の苗木を注文した。

苗木

今回は、コナラ、クヌギ、ブナ、ホオ、トチの5種類。
それぞれ25本からの注文なので、合計125本。
結構な本数だが、1本ずつは小さいので、植えてみるとそれほどの量には感じない。

苗木

これはトチの苗木。
今植えればすぐにでも芽を出しそうだ。

苗木

ビニールのまま置いておけないので、一か所に仮植した。
後日、それぞれの場所に植えられる予定。

木を植えると、その成長が楽しみだし、植えた木の種類に興味を持って、愛着が湧く。
木は話さないが、僕たちに色んなことを教えてくれる。

地震雲

4月2日、外出先で車から降りる時子供が言った。「あの雲、恐竜みたい。」
ちょうど諏訪インターの近くにいたのだが、南の空を見上げると、今まで見たこともないような不思議な雲が浮かんでいた。

雲

空を見渡すと、他にも似たような雲が。
これぞまさに地震雲か、ふとそんな考えが浮かんだが、大きな余震は一昨日もあったばかりだし、まさかと思って忘れてしまっていた。

ところが夕方、自宅にいると揺れが、、、。
テレビの速報では、茨城県で震度5弱の地震とのこと。
とっさにあの雲のことを思い出した。
写真を撮っておいてよかった。

今日本中、色々が不安定な状況だ。
空もそれを感じている。
そう思わせる不気味な雲だった。

地震予知

中学生のころ、地震予知に情熱を燃やすI君という友人がいた。
I君は空を見上げて「24時間以内にどこかで地震が起きる」などと言うのだ。
最初のうちは無視していたけれど、あまりにも熱心で(しつこい)、次の日には新聞を持ってきて「やっぱりどこそこで地震が起きていた」などと言う。
そのうちこちらも興味が湧いてきて、二人の中で地震予知がちょっとしたブームになっていた。

彼の地震予知の方法はとても簡単。雲を見るのだ。
飛行機雲のように、真っ直ぐ伸びた線状の雲が空にかかっている時は要注意。そんな日は「24時間以内に……」となるのだが。

この話、科学的根拠などは全くない子供の遊びにすぎない。
でもあれから30年以上経った今でも、変な雲が浮かんでいたり、空にちょっとした異変があると、その頃のことを思い出して「地震が来るかな」などと思ったりしている。

雲

3月27日、夕方撮った写真。
この2、3日、夕方西の空を見ると、こんな風景の日が続いていた。
言葉にすると「混沌」。
ちなみに、この日もその前日も、結構大きな余震が東北地方で起きていた。
この空を見てI君はなんと言うだろう。

空と陸地はつながっている。
科学的な根拠ははないかもしれないけれど、陸地で異変が起きると、空にもそれが反映されると考えるのが自然だ。
地震予知に限らず、時には空を見て、何か起きるかなと想像したり注意したりすることはとても大事だと思う。
大昔から人間は、そうやって自然の中で生きてきたのだから。

仮設住宅

震災に見舞われた方の避難もある程度進み、一部の地域では仮設住宅の建設が始まっている。
現在避難生活を送っておられる方は、30万人に上るという。
すべての避難者の方に仮設住宅を建てるのは効率的でないし、実際不可能だ。
自治体によっては空いている市営住宅などを避難先として提供しているところもあるようで、全国規模でそうした輪も広がりつつあるようだ。

被災者の方の住む場所についてはいろいろアイデアがあると思うが、僕が一つ提案したいのは、空き家や使っていない別荘の活用だ。
日本の空き家の数は、700万戸~800万戸といわれている。
それらの空き家を自治体が持ち主から借り上げて、被災者の方に提供したらどうだろうか。
数字だけ見れば、それだけで被災者の住む場所の問題は解決してしまう。

あれだけの災害に見舞われた地域では、復興に年単位の時間がかかることが予想される。
地域の方たちは復興が進むまでの間、他の場所に住まなければならない。
また原発の近くの住民の方は、さらに遠くへ避難する必要があり、いつ戻れるのかもわからない。
わざわざ仮設住宅を建てるよりも、今ある空き家を活用するほうが無駄がないと思うし、空き家のためにも人が住んだ方がよい。
更に、過疎や高齢化が進んで空き家が増え、物騒さが増している地域のためにもなる。

このアイデア、実現には色々問題があるかもしれない。
でも、新しい発想とアイデアで乗り越えられると思うのだ。
どこかの自治体で採用しないだろうか。

原発事故

宇宙飛行士の野口聡一さんが、2010年6月、163日間にわたる宇宙での任務を終えて帰還した後のインタビューで「この地球はいずれなくなる。その前に人類は宇宙へ出ていかなければならない。今回のミッションは、そのための一つのステップだ。」というようなことを語っていたのが、強く印象に残っている。
この人はそういうことを考えてこの仕事に取り組んでいるのか、と、妙に感心したのを覚えている。

太陽は、水素を核融合することでヘリウムに変え、大きなエネルギーを放出しているが、やがてその水素も燃え尽きてしまう。
50億年というのが、太陽の寿命なのだそうな。
そのはるか以前に、太陽は赤色巨星となり、地球を飲み込んでしまう。(高校の科学の授業で習った覚えがある。)
おそらく野口さんは、太陽が地球を飲み込んでしまう前に、人類は地球を捨てて外に出て行かなければならない、ということを言っていたのではないかと思ったのだが、、、。

言うまでもなく人類は、地球の中でしか生きていくことができない。
太陽が地球を飲み込んでしまう前に、果たして人類は地球から外に出ていくことができるのだろうか?

3月11日、巨大地震が東北地方を襲った。
地震の規模は、かつて日本人が経験した中でも最大級だったようだし、それに伴って起きた津波の規模も、記録や調査で明らかになっている中では最も大きかったようだ。
連日テレビでは、その映像を繰り返し流していたが、その自然の猛威はほかに例えようがないほどすさまじいものだった。
この地震と津波の影響で、亡くなったり行方不明になったりした人の数は、1万数千人に上るという。
まさに未曾有の大惨事となってしまった。
被災された方は、今本当に大変だと思う。
でも日本中の人が力になりたいと思っている。
そして世界中からも応援が寄せられている。
僕も何かしたい。今できることから。
応援しています。あきらめないで。

今回その自然災害に追い打ちをかけたのが、福島原発の放射性物質漏れの事故だ。
国や関係機関は、想定外の津波と、言い訳しているが、その想定の設定も含めて、半分は人災のような気がする。

太陽の寿命は50億年だが、人類の寿命を考えると、これからの50年がとても重要だと思う。
今回の地震は失ったものも膨大だが、日本人や世界中の人々が得た教訓も、かなり大きかったのではないかと思う。

地震の後、東京電力管内では計画停電を行っている。
今山梨県内で仕事をしているが、ほぼ毎日、時間帯を変えて3時間ほどの停電がある。
市民生活には大きな影響があり、電車の運行が予定通り出来なかったりしてとても不便だ。
それでも、東北地方で被災された方々のことを思うと、遠くにいる我々はまだ我慢ができる。
それに、原発事故による放射能漏れの恐怖を考えると、それよりも1日3時間停電したほうがましという考えにもなってくる。

生物学など専門家の指摘では、進化の頂点にある人類は、滅亡の方向に進まざるを得ないのだという。
地球の寿命、すなわち生物が地球上で暮らせる環境のタイムリミットは、人類がこのままの状態で突き進んだ場合、よくもって数百年程度だという。
二酸化炭素による地球の温暖化も確かに問題だが、人間が制御できない原子力を使用し続けることのほうが心配だ。
しかし現状は、温暖化防止のため世界中が原子力発電を強力に推進する発想になってしまっている。

人類全体が足るを知る生活、不便を受け入れそれを楽しむ生活に、大きく変換していくことが不可欠だ。
今回の大災害の教訓を今後生かすことができるかどうか、これからの人類全体の寿命にかかわってくる。

今回大きな災害を経験し、更に原発事故に見舞われている日本が、世界の先頭に立って方向転換をしていくことで、世界の潮流を変えることができるかもしれない。
もしそうなれば、今回の悲しい出来事も、大切な教訓として生かせるのではないだろうか。

八百長

僕が子供の頃、プロスポーツといえば野球か相撲だった。
小学生の頃はグローブとバットを持ってよく遊んだし、グランドに円を描いて友達とよく相撲を取った。
テレビでも、やっているのは巨人戦か大相撲。
特に相撲が始まると、早く家に帰ってよく観たものだ。
そんな子供の頃の記憶から、相撲は好きなスポーツの一つだったのだが…。

今相撲界を揺るがしている八百長問題。
まさに積年のたまりにたまっていた膿が、今まで隠れていた病巣から一気に噴出したという感じ。
最近明るみに出た大麻問題、野球賭博も、もちろん根は同じ。
ただ八百長は、たぶんやっているだろうなというのが、ファンの間では暗黙の了解になっていたようなところがある。
千秋楽で8勝6敗の力士と7勝7敗の力士が対戦した場合、どちらも勝ち越すような勝負がつくのが普通だった。
でもこれはいわゆる人情相撲で、八百長とはちょっと違う。
金銭の授受や賭け事、先輩後輩の力関係、またはさまざまな人間関係による圧力などで勝敗を決めるのはこれは八百長だが、人情相撲とはちょっと分けて考えたい気もする。
ただそういう馴れ合いが長年続いた結果、病巣が広がってしまったということを考えると、人情相撲もダメということになるのだろうか。

現在は様々なプロスポーツが誕生し、各地に根付き、活発になってきて、相撲だけ日本の伝統を守って、というわけにはいかないのだと思う。
西洋のスポーツの精神を100%取り入れて、相撲も伝統の国技からスポーツに生まれ変わる時なのかもしれない。
それを望んでいるファンも多いのだろうか?

相撲の再生には専門家が意見を出し合って検討している。
改革の中心は、組織改革のようだが、これが一番難しい。
どこの世界でも同じ、既得権益を持っている人たちが、それを離さない限り改革は無理だ。
航空大手の大企業が潰れたのも、改革がやりたくてもできずに、潰れるしかなかったのだろう。
そうなると相撲協会も、一度御破算にして、新しくゼロから出発したほうがいいのかもしれない。
でもそれもちょっと無理そうだな。
これだけ問題が大きくなっているのに、いまだに改革に後ろ向きな相撲協会の煮え切らない態度を見ていると、大した改革は期待できない。

国技である大相撲がスポーツに変わるため、僕が一つ提案したいのは、ちょん髷を切ることだ。
いっそ力士全員、坊主頭にして出直したほうがよい。
そうすれば全く進まない組織改革も、少しは動き出すかもしれない。

PAGE TOP