目次
1、<明治以前の住宅家屋についての考察>
2、<現代の住宅を取り巻く状況>
3、<理想的な家づくりとは>
伝統民家
<明治以前の住宅家屋についての考察>
プラスチックなどの石油・化学製品や、電気、ガス、水道などのまだない時代、家は身の回りにある植物(一部動物)、土や石など自然由来の材料で建てられていた。基礎は石や掘立、三和土で作られた土間、建物の構造には木材や竹を使い、壁の下地には竹や葦などの植物を藁縄で固定、そこに土を練ったものを塗って壁を作っていた。窓にはガラスなどはなく、雨戸と障子の組み合わせで中と外を分けていた。
屋根の下地は細めの丸太や竹を使い、それを藁縄で固定、その上に萱や藁などで屋根を葺いていた。建築にはその場所の気候風土や植生などの地域性が大きく影響しており、その土地で産出される木や草、石や土や粘土を使うことにより、環境に応じた地域独自の技術や工法が発達した。
<現代の住宅を取り巻く状況>
今の日本の住宅は、大手ハウスメーカーが幅を利かし地域性を全く無視した日本中どこに行っても同じ造りの家になってしまっている。高機密・高断熱という名で住宅の中と外を分断し、建材はほとんどが石油製品や化学物質で作られた家がほとんどだ。木造を売りにしている住宅メーカーもあるが、多くの場合輸入木材を使い、構造材には合板やボードなどの工業製品が使われている。
ハウスメーカーがここまでもてはやされるようになった理由は、消費者に家を商品として買う意識を植え付けた戦略にある。メディアを使ったCMや住宅公園などの営業力と、巨大企業による商品開発と一括生産ラインの構築、それが戦後のバブル景気に乗って大きく浸透して人々の意識を変えてしまった。近年、そのツケがシックハウスやアレルギー反応、また海洋ゴミの問題などとして表に出てきている。それでも戦後の好景気で周りが見えなくなっていた日本人には、それがおかしなことであるということに気付く人が少ないのが現状だ。
今でも伝統的な木造の技術を使い、地域の材料で優れた住宅を建てている地域の工務店はまだ日本中あちこちに残っている。しかしそれは、大手住宅メーカーの販売件数に比べれば圧倒的に少数だ。その現状を打破するには、家を建てる人の意識が変わらなければならない。それと同時に、建てる側の意識も変える必要がある。住宅メーカーのプレハブの家を作るのは、大きなプラモデルを作るのと同じで特別な技術はほとんど必要ない。昔の大工や職人が身につけた、厳しい修行の先に行き着ける境地のような努力はほぼ必要なく、それを望んでやろうという気概を持った人も、またそういう人が育つ環境自体珍しくなってしまった。
<理想的な家づくりとは>
昔の徒弟制度を復活させようというのではない。民家を取り巻く様々な環境を整えその仕組みを作ることが必要だ。現代の人々の価値観・社会の構造に合った、伝統的な民家の仕組みを作ることを目指している。
理想的な伝統民家造とは、
地産地消(身の回りにある材料を使う、自然素材)
技術の継承(大工や左官など、職人の技術を最大限に生かした建築、後継者育成)
石油化学製品・工業製品をできるだけ使わない(速やかに自然に還る材料)
森や山の風景に溶け込む、違和感のないデザイン
SATOYAMAの利点を生かす(近くの山で切った木をその場で製材して使う、循環する仕組み)
住む人が家づくりに参加する仕組み(結い)
伝統民家に必要な要素として、身の回りの自然環境と人の暮らしを見つめる目を養い、シンプルで必要最低限の暮らしができるスキルを身につける。暮らし全般、衣・食・住全てにおいて、できるだけ自然のものを自然の状態で生活に取り入れる工夫をする。活動に必要なインフラも、自給できるシステムを地域として取り入れていく。(オフグリッド等)
その上で、経済活動として成り立つ生産性と産業化が継続的に成り立つに仕組みを作っていく。
住まいにこだわる人は住宅だけではなく、身に付けるもの、食べるものにとどまらず、環境問題、更には政治的な問題にまで関心の高い人が多い。住環境を変えるには、住宅だけに目を向けていても何も変わらない。むしろ社会問題に目を向け、あらゆる情報に敏感になる必要がある。
今の世の中、自分だけ良くなることは現実的に不可能であり意味がない。むしろ私たちの周辺・社会全体が良くならなければ、個人だけが良くなることはありえない。住環境もまさにそうで、メーカーハウスの住宅地の中にポツンと伝統的な住宅があってもかえって違和感を感じてしまう。小さな細胞が集まって一つの生命体を形成しているように、街全体を形成する住宅一軒一軒が、自然素材を使ったシンプルなデザインで、そこに住む人の意識が自然に寄り添うような形になれば自然と美しく住みやすい街が生まれると思う。
建築工房藁株式会社
杉山 則人