5月24日東京の富沢建材で行われた左官講習会に行ってきた。こちらでの講習会は6回目。今回のテーマは大津磨きと現代大津磨き。
実演は京都の左官山本忠和氏、東京の左官小沼充氏。それに久住章親方の解説。
左官の技術、特に磨きの技法というのは、地域でやり方が異なる。京都のやり方と大阪のやり方とは違うし、兵庫でも違う。伊勢磨きというのもあるし土佐磨きというやり方もある。九州や東北、北陸その他諸々、かつてはそれぞれの地域で独自の方法で行われていたのだ。
もっとも今は磨きをやる人が少なくなってしまって、地域の特性どころではなくなってしまったが‥‥。それはさて置き。
一口に京都といってもその中でも親方によって使う土や材料、その配合、使う道具の種類やこだわりなど、同じものは一つもなく、いわば個々の職人集団が、技術を磨き経験を積むうちに確立した技法なり道具なりを駆使して行うのが磨きなのだ。
だから今回実技を披露してくださった方のやり方は、京都のやり方と言うよりも山本式、東京のやり方と言うより小沼式と言った方が良いと思う。
それぞれに両氏の経験や工夫、道具や材料へのこだわりが詰め込まれている。
それを今回は、両氏が普段使っている材料ではなく、富沢建材で手に入る材料を使って行うという、新たな課題も試されていた。実はこれはとても大きなことで、普段職人は、当日の天候や湿度、周囲の状況や土の状態によって、仕上げる時間や磨きのタイミングを計る事になるのだが、普段使い慣れていない材料を使うと、その微妙な加減がつかめない事になる。始めての材料を使うというのは、よほどの経験がないと難しい。
両氏がそれぞれのやり方で行う磨きの仕事を、左右に並べて、山本氏はベンガラで赤に、小沼氏は松煙で黒に仕上げるという、何とも贅沢な、しかも久住親方が解説をしてくれるすごい企画なのだ。
山本氏のパネル。ベンガラで赤く仕上げる。
こちらは小沼氏。黒磨き。黒磨きには松煙を使うが、人によって他の色を混ぜて光り加減を調節している。小沼氏の場合、2種類の色粉を足しているそうだ。
大津磨きの場合、下地に塗るのは灰土(ハイツチ)、仕上げを引き土(ヒキツチ)と言う。引き土には色粉の他に石灰と細かくふるった粘土、それに和紙を水に溶いたものを加えるそうだ。久住親方の解説でそれらの配合や地域性などいろいろな事を教わったが、とてもここでは書ききれない。
この実演はひだしスサのふるい方。みを使って灰土に入れるスサをふるうのだが、そのやり方や使うみの種類など、知らなかったことばかり。
今回の講習会の定員は200名、当日は雨にもかかわらず、それを上回る参加者があったそうだ。ほとんどが本職の左官の方。全国から集まり技術を学んでそれを持ち帰り、今後の仕事に生かしていかれるのだろう。皆さんとても熱心。
山本氏の使っておられた道具。手入れが行き届いていてほれぼれするような美しさ。チリ箒は自作だと思う。鏝は鍛冶屋に1丁ずつ形や硬さなど特別に注文するそうだ。すごい。
その山本氏が仕上げた赤の大津磨き。京都の職人さんのこだわりで、仕上げの拭き上げに化学繊維を使用しないので、微妙に鏝跡が残っているのがわかる。でもそれも美しい。
小沼氏の黒の大津磨き。こちらは最先端の技術を駆使して、鏝跡のない無地の壁に仕上がっている。引き土の塗り厚も薄く、山本氏の工法よりも早く仕上がる。もっとも、薄いと言っても0.5ミリ~1ミリの世界。「その違いが大きい」と久住親方の解説。
そこへ登場したのが、帆立貝の殻の形をしたこのオブジェ。小沼氏考案の現代大津磨き。考え方はイタリアで行われているイタリア磨きの技法を取り入れたもの(久住親方解説)。
あらかじめ準備された下地に石灰クリームをベースにした引き土を刷毛で塗る。それをゴムのへらで伸ばしむらをなくす。その作業を3~4回繰り返す。
その後はなんと軍手で磨くのだ。みんなでよってたかって軍手でこする。軍手も汚れたら替え汚れたら替えを繰り返す。
そして最後に市販のオリーブオイルをすり込み完成。これは小沼氏が独自に編み出した方法で「画期的な技術革新」と久住親方も絶賛。
こうして3つのサンプルが完成して終了。今回も内容の濃い講習会だった。
今回、久住親方の解説をメモしたのだが、1日でそれが7ページにも及んだ。
今度それをまとめてみようと思うが、富沢建材さんや、左官的塾のHPに、その様子をまとめたものが出るかもしれない。それも楽しみにしつつ、いつかこのページでもまとめてみたい。
これだけの講習会を企画し実行してしまう東京の左官集団、関係者に脱帽。次回も参加します。