2007年の漢字に選ばれたのは「偽」という字だった。
確かに今年は、あちこちで様々な偽装が明らかになった。
食品の賞味期限の改ざんは、日本人のもったいないという気持ちからすればわからないでもない。
まだ食べられるものを捨てるというのは、昔は悪い事だった。
それが大量生産大量消費の今のスタイルでは、悪いどころか当たり前のことになってしまった。
賞味期限を延ばすために、どこかの大国のように防腐剤を入れまくるようでは本末転倒だし、品質を保ちながら嘘偽りない物を作るというのは、特に食品の場合、大きな工場やいくつもの支店では難しいのではないか。
やはり責任者の目の届く範囲でしか、本当のものづくりは出来ないと思うのだ。
今年我が家では、一昨年山に植えたトウヒの木を、大きなバケツに植え替えてクリスマスツリーにして部屋に飾った。
この木は、2年前に森林組合から植林用に買ったもので、その時30センチくらいだったものが今は60センチくらいに育っていて、クリスマスの飾りには丁度いい大きさなのだ。
その木に子供たちと色々な飾りを付けると、立派な本物のツリーが完成した。
何しろ本物の木だしこれ以上のものは無いと思っていたが、後日買い物に行った先で嫁さんが、店頭に飾ってあった合板を緑色に塗って立体パズルのように組み立てたツリーを見て「これいいわね」と言っているのを聞いて複雑な気持ちになった。
25日を過ぎ、部屋のクリスマスツリーも片付けて今度は正月飾りだ。(日本て忙しいね)
もうすぐ3歳半になる娘は、最近いろんなことを覚えて、正月飾りもわかるようになってきた。
そうなると親としては、少し奮発して正月飾りの一つも、と思ってしまうものだ。
そこで外出ついでに近くの100円ショップに寄って見ると、あるはあるは、値段は100円から、高くても1000円程度。
でも待てよ。これって本物?
一応藁を使ってそれらしくしているが、飾りのみかんや葉っぱはプラスチック。
おまけにカラフルな鯛や独楽などの模型もつけられている。
しかも、おそらく全部中国製だろう。
この偽物の正月飾りを家の玄関に飾る事に、果たしてどんな意味があるのだろうか。
僕の年代は、かろうじて手作りの正月飾りを知っている世代だ。
子供の頃、うちの正月飾りは、いつもとなりに住む叔父が作ってくれた。
藁から縄を綯い、白い半紙で垂れやコヨリを作り、山から取ってきた松の枝や南天の実と共に玄関に飾ってくれたものだ。
その作業の一部始終を見るのがとても好きだった。
特に、数本の藁から丈夫な縄が出来たり、一枚の細い紙から紐のようにコヨリが出来るのは、手品を見ているようで感動ものだった。
それが手作りの良さであり、正月飾りの意味なのだと気づいたのは最近の事だ。
今年我が家では、そんな偽物へのささやかな抵抗として、庭の赤松の枝を採って玄関に飾った。
確かに本物よりも優れた偽物というものがある。
レストランの前によくある食品サンプルなどはまさにそうだし、本物ではない意味もあるだろう。
でも日本国中全ての物が、模造品の偽物になってしまったとしたら、実にみすぼらしくつまらないと思うのだ。
今年様々な偽装が日本を騒がせたが、そうした偽物がはびこる土壌が、今の日本にはいつの間にか出来てしまったのではないだろうか。
建築の現場でも、今使っている建材は偽物ばかりだ。
クロスや合板のフローリングなど、実は全て偽物で、そういう偽物に囲まれて暮らしていると、いつしか偽物に対する感覚が鈍くなってしまう。
今の世の中、何も考えずに暮らしているとついそう方向に流されて行ってしまう。
出来るだけ本物を使い、日々本物を見る目を養う努力を続けなければならない。
今年1年ありがとうございました。
来年も皆様にとって良い年でありますように。