戦争と「語り」

最近ミクシィにうつつをぬかして、自身のHPがおろそかになっている。いかんいかん。
と言う事で、近頃感じた事を少し、、、。
最近、にわかに硫黄島が注目を集めている。きっかけはやはり、クリント・イーストウッドの映画だろうか。
今日久しぶりに近くの本屋に寄ってみたら、硫黄島関係の本がひとつのコーナーを作ってたくさん並べられていて驚いてしまった。以前ここで紹介した「散るぞ悲しき」も、月間売り上げベスト5に入っていた。
数日前には、テレビドラマでも硫黄島関係のものをやっていていたし、ちょっとした硫黄島ブームだ。
過去の戦争の事が取り上げられ、伝えられる事はいいことだが、その伝え方には考慮が必要だ。
今のメディアを中心とした騒ぎようは、どう見ても一つのブームにしか見えない。ブームは去った後に何も残らない。いわゆるバブルと同じだ。
先日硫黄島のテレビドラマを見た次の日、たまたま85歳の叔父から戦争に行った時の話を聞いた。彼は中国で終戦を迎え捕虜となり、シベリアに4年間抑留された。シベリアでの抑留生活は過酷なもので、凍ったジャガイモや豆など盗んで来ては、凍ったまま生で食べていたそうだ。同じ時に捕虜になってシベリアに送られた戦友たちは、チフスや赤痢などで次々に斃れ、最終的に5人に1人くらいしかしか生き延びられなかった。叔父が生き延びられたのは、胃腸が丈夫だったから、と語っていた。
時間にすれば15分くらいの短い話だったが、その話は前の晩に見た2時間のテレビドラマよりも強烈だった。
過去の歴史を伝えるのに「語り」はとても重要だと思う。
大人から子供まで、戦争を体験した人たちの話を聞く機会をもっと作る事が必要だと、最近の硫黄島ブームを見て思う。
私の叔父ももう85歳だ。戦争を体験した世代がもう老境に達し、それを話し伝えられる時間は残りわずかだ。

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